![]() GSC-<月例報告> 久しぶりの「ポンポン山」紀行! 12月の「忘年月例登山」が、メンバーそれぞれの事情により「中止」となり、約60日ぶりの登山となった1月12日(木)、早朝より久しぶりの青空の中を大阪・北摂にある「加茂勢山=678.9メートル」に軽いトレーニングを兼ね登行した。 予想に反し、580メートル辺りより、「残雪」があり、非常に滑り易い登山道であったが、我々GSCのメンバーにとっては「ホームロード」であり、心地よい登行であった。 中腹の「本山寺」には、「毘沙門天」の祀られ、修験道場を併せ持つ有名な社寺であり「お参り」は欠かさず励行している。 今回、頂上にてお会いした「奈良県」からのバスツアー一行(女性30人・男性15人)の方たちの話では、その殆どが「健康の為の登山」と答えられていたが、難点は「仲間と足」だそうで、我々が「下山後の温泉」の話をすると、大多数の人が「羨ましい」と囁かれているのを聞き、我が身らの「ありがたき情況」を噛み締めつつの下山となった。 この季節の気象は、午後の保障はない。我々が「頂上を出発」する折は、太陽が燦燦と輝いていたが、残雪の消える頃には、青空は曇天と化していた。早速「樫田温泉」に! やや疲れぎみの身体を癒し、ライトドリンクを戴き帰路についた。 解かりきった事であるが、「継続は力なり」と言われる通り、僅か1回の「月例」を中止しただけで、身体の反応は違った。シニアにとって、この違いは大きい。人間を永くやってきたが、「怠惰」は、厳禁であると戒められた思い。これより「山歩き」などお考えの方は、何事も同じように「こつこつと日々努力」を忘れてはならない。 高齢化社会と言われ、その「健康維持」を、それぞれお考えの「シニア」。「初心忘れず日々これ努力が大切」です・・・! 次回は、福井県・そば処「今庄365」で有名な「やすらぎ温泉」三昧とスキーのご報告をします。ぜひ、お尋ねください。 ☆一月の仏声人語・・・「そのうち」より「今のうち」 ■
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by srd52834
| 2006-01-17 12:21
| トレッキング
![]() GSC<月例報告> 「'06シーズン初滑り」 12.20 天候はまずまず、日本の北「バイカル湖」には、零下42度の寒気団が南下を伺う状況での旅立ちでした。 今回の目的地は、兵庫県・北西部に位置し積雪量では関西・中国地方での「メッカ」と称される「ハチ北高原」で、プロスキーヤー三浦 雄一郎氏の主宰される「スノードルフィン」の開校地でもあり、歴史ある有名なスキー場です。 各道路共除雪が行き届いており、10:30現地宿舎である「ニューおちや」に到着、暫し休息の後、早速「新雪のゲレンデ」へ。 今回の参加者は、私外GSC会長・鹿海氏と御意見番・久保山氏の「としより」三名、各人軽く足慣らしの後、「基礎確認練習」とする。中でも「久保山氏」は、喜寿(77歳)にして始めたスキーで、2年前の初シーズンに「己の不注意によるリフト下降時の怪我」にて、精神上の再起が危ぶまれたが、元気に「シュテムシュブング」まで上達した人で(年に3回のスキー旅行、最長3日・計15日しか雪の上に立っていない初心者)まずまずの上達であると感心する。 2日目は最高の日和、午前9時~午後3時まで「パウダースノー」に戯れ、お互いの「技術の進歩」を確認し、疲れた体を温泉に浸した後は「越の寒梅とカニすき」に舌鼓を打ち、至福の時間を過ごしました。 さて「最終日」、昨夜来の雪が40cmの積雪にて再バージンスノーです。はやる気持ちを押さえつつ「ゲレンデ」に飛び出すも午前11:30頃の「気圧の谷」の通過後は、北よりの風雪が強まり止む無く「下山」、運転者の私以外は「温泉」を戴き、午後2:30帰路に就く。 ところが、昨夜来の「積雪」の影響にて帰路に利用する筈の「高速道路」は全て「閉鎖」、止む無く「2国バイパス」へ迂回するも45kmの渋滞に会い予想外の9時間を要し、「疲れた帰路」と成りました。(南へ下れば積雪も少ないとの思惑が見事外れました。) しかし、我々シニア3名はそれぞれ技術の差はあれ、お互い「研鑽」を積み、楽しい「雪上3日間」を過ごす事が出来ました。シニアと云っても「故岡本 太郎氏」を始め、現役の「三浦 敬三先生」(99歳)など数多くの方々が「雪」に接して居られます。「我が歳」を理由にせず、「健康に気遣いフィールドへ出かける」事に何らかの「意義」を味わって戴きたいと思う年の瀬です。 (告)「山歩き」「スキー」希望者歓迎!(シニアに限らず、何方でも参加可能です。) ☆十二月の仏声人語・・・「忍んで終に悔いざらん」 <困った時、お尋ね下さい。> ■
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by srd52834
| 2005-12-26 14:58
| トレッキング
![]() GSC <月例報告> 「大江山」と「カニ」三昧紀行 11/10、晴天。何時ものとおり6:30AM枚方出発、第二京阪・名神・舞鶴自動車を利用し、百人一首でお馴染みの「大江山・千丈ケ嶽」の登山口・憩いの広場に着いたのは、9:00AM。 支度を整え、会長・鹿海氏のリーダーにて、アン・ザイレンの練習に取り組む。 全員「初登山」の山であったが、等高線は然程込み入ってない状況判断の基の「基本練習」で、結果、非常に「良い登山道」であったと思う。アン・ザイレンとは、全員が一本の「ザイル」に連なり、同時進行(コンテ)するもので、「非常時の備え」及び「霧の中の歩行」に役立つ方法である。 これの難しさは、パーティー全員が同じ速度で移動且つ、雪の中でのアイゼンによるザイルの損傷を避ける事にある。全員が納得したか否かは不明であるが、きっと記憶に残るものと信じている。(シニアには、非常に難しい事柄であろう) さて、「大江山、行く野の道は遠おけれど・・・」万葉集にも謳われているとおり「酒呑童子の鬼退治」の神話に出てくる連山で、幾つものピークを持つが、今回はその中で最高峰の「千丈ケ嶽」へのアタック、傾斜も緩やかで家族連れのハイキングに「うってつけの山」であろう。 登山口の「憩いの広場」には、県営の「オートキャンプ場」と、2・3の遊戯施設が整備されていてシーズンは、賑わいのある場所となっているようである。頂上は、熊笹が茂っていたが、それなりに刈り込んであり ある程度の眺望も望め、爽やかな秋の風に癒され 弁当・ホットコーヒーを全員で戴き 下山した。 下山後、隣町の「加悦(かや)SL広場」に立ち寄り、各時代を映す「SL(蒸気機関車)」を眺め、暫し「懐かしさ」を味わう「有意義なひと時」に浸り、今夜の宿・「じゃす てぃす」に向かった。 ほぼ一時間の行程にて、網野町・掛津 「琴引浜(鳴き砂でも有名)温泉」に到着、すぐさま浜辺に出掛けたが、サーファーの姿も多く見られ行く秋の名残りを楽しんでいる様であった。 早速、温泉に疲れた身を委ねた後の冷たい「ビール」の味は格別。その上、目的の「松葉カニ」三昧と洒落込んだ。この宿は、家族経営らしく、小まめにサービス頂ける「カニ&海水浴」の宿であると感じた。一度、尋ねてみる価値はありそうです。(価格は、¥15,000-で、カニの量は、充分。温泉は中アルカリ性・ぬめりのある無色・透明です) 紹介アドレス=http://www.justice-ave.jp 美人の奥さんと物静かなご主人が印象的でした。 今回の紅一点・伊藤 惠子氏の「津軽三味線」で盛り上がり、帰路は、R178の海岸美を満喫・紅葉の経ケ岬灯台・伊根の舟屋・日本三景/天橋立のサイクリングと観光し、楽しい「命の洗濯」をさせて戴いた。夕刻、無事帰還でき「万物に感謝」の二日間でした。 ■
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by srd52834
| 2005-11-14 16:16
| トレッキング
![]() 紀行 「氷ノ山」 山に興味のある方達にとって、ヒマラヤ(8,844m)にて消息を絶ち、2年前に頂上直下の氷の中から発見された英登山家「ジョージ・マロニー」氏の言葉として有名な「そこに山があるから・・」は、云うまでもなく全ての登山家の憧れであろうと思う。 私が「登山」を初経験したのは12歳、「立山連峰・剣岳」へ「立山町の叔父」に連れられて登ったのが初登山であり、グランド・ジュラスで逝った元日本生命社員「長谷川 恒夫」氏らと、涸沢ヒュッテの故「文ちゃん」(愛称)の入れてくれるコーヒーを戴いた昔の事が、とても懐かしく思い出される。 今回、不知の兵庫県・最高峰「氷ノ山」にGSC月例として、10・21(金)初めて登行した。「山スキー」での氷ノ山は、ハチ高原のヒュッテ・オーナーの案内にて「ツアー」を経験した事はありましたが、鳥取県側からのこの山の登行は初めて! 快晴の当日、6:00大阪・枚方市を出発、高速を乗り継ぎ、登山口である県立「響きの森」に着いたのが9:10、この下にある宿泊施設「氷太くん」にて「モーニング・コーヒー」を頂きトイレをお借りした後、登山口より「氷ノ越」に向け登行開始。約40分を要したが、登山道がしっかりしており初心者にも安心して登行のできる「山」である事が解かった。 さて、「氷ノ越」からは氷ノ山の北西斜面の「紅葉」を眺めながらの緩やかな上り下りの道程にて、氷ノ山の八・五合目「仙谷の分岐」にて弁当とする。約30分の休憩の後頂上を目指し、三角点に到達したのは、12:30であった。暫しの休息を摂り日本海を眺めた後、下山の途についた。 帰路は、仙谷分岐よりスキー場方面への沢沿いを「今日の目的ー下山訓練」に利用、「上級コース」と記載されていたが、北アルプスで経験を積んだ同行者にとっても易しいルートと思えたが、しかし、中級程度の「下山技術」は必要であると感じた下山道でした。 総じて初心者の方々には「案内板のしっかりした、よく踏まれた登山道」であり、地元山岳会のご努力が見て取れた。 「氷ノ山」と。 さて、高齢者の登山に関し、難しく怪我の多いのが「下山」時です。何故なら、「膝」の疲労度が思った以上だから。 私の経験でお伝えしたき事は、「体のバランス保持」の難しさで、岩場での「岩岩のトップ」を軽やかに且つ、膝の上下動を如何に少なくして、之の衝撃を和らげるかの工夫が大切であり、日頃の鍛錬(例えばスクワッド)が必要と思われます。 日頃の鍛錬が、己のスキルアップに繋がり、事故を回避し結果、美しい・オゾンいっぱいの「山歩き」を楽しめる事と思います。くれぐれも「安全」への「心がけ」が大切!です。 ☆次回は、例年の「カニ」目当ての「大江山」に登ります。 ■
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by srd52834
| 2005-10-28 15:00
| トレッキング
![]() 北ア・大日三山縦走紀行 <北アルプス>縦走 大日三山(大日岳・中大日岳・奥大日岳)の縦走当日7月15日、私の朝寝坊にて出発時間が30分遅れたのですが、予定時刻に大差なく、富山地方鉄道「立山駅」の駐車場に着いたのは、午前10時40分。 早速支度を整え、ケーブル駅へと向かい、少しの待ち時間にて美女平へと乗車(約7分)、登山バス(アルペンルート)も連絡しており直ちに発車(50分)、弥陀ケ原・天狗平・雪のない大谷を経て室堂平ターミナルに到着したのは、12:15でした。 ここで、縦走用の重い荷物をロッカーに預け、勿論、サブザックには茶・弁当を入れ、今日の目的である展望台(室堂山と浄土山のコル=鞍部)へと登行を開始、約1時間で到達するも、残念ながら「ガス」に見舞われ折角の眺望は・・・・昼食を済ませ下山、先程のロッカーよりザックを背負い、今夜の宿「ロッジ立山連峰」に歩を進め、途中、「地獄谷」のイオウ噴煙の中25分の散策にてチェックイン。 「地獄谷の湯」にて、本日の疲れを癒し「ビール」で乾杯、星は40年前と同じように「美しき夜空」を演出してくれ、明日の天候も併せ、北アルプスは我々を歓迎してくれているようでした。 翌16日、朝霧の中7:00出発、称名川を渡り新室堂乗越へのガレ場に取り付いた。約40分の登りで稜線に立つと、すっかり「秋の気配」。 爽やかな風をうけながら「奥大日岳」へと進む。それから2時間あまりで頂上に!(2,600m)前剣・剣の日本海側の眺め、「山の切り立ち」の凄さに暫しの休憩も あっと云う間で、記念撮影の後今日の目的地「大日岳」を目指した。 途中少しガスが発生したものの大事なく、快調に「梯子」場をアンザイレンにて通過、中大日岳(七福園=お花畑)にて休憩、花の季節が過ぎていたのが残念でしたが、その分「少量の汗」で済み、快適で爽やかな秋の風に出会え感激でひとしおでした。 15:00「大日山屋」に到着、チェックインの後、「大日岳」に登り「美しい日本海」を暫し眺め、小屋前のテーブルにて「再々乾杯」。この「大日小屋」は、ランプの小屋としても有名ですが、まだ日の高い時期では、ランプの灯りが暗く感じられた。(当然であるが) 夕食を済ませ、夜空を見上げたが、「中秋の名月」近くの為、稜線の周囲しか視る事は出来ませんでしたが「明日」の事を考え、早々に就寝。 最終日17日、快晴。しかし、昨夜の「天気予報」では日本海に前線が発生し午後の雲行きが案じられた。6:30分、朝食を済ませ、弁当を戴いて小屋を後に、こらから「長い長い下り」に挑戦である。 大日平を抜け、約6時間かけて「秋の称名滝」へ。春の雪解け時のそれとはまた違った光景で「ハンノキ滝」は、殆ど水量がなかった。見物の後、歩行による体中温度を下げる為、「かき氷」を戴き、峡谷美に分れを告げた。 バス20分「立山駅」に戻り、2・3回利用した事のある「立山国際ホテル」の「極楽の湯」に体を委ね、すばらしい「縦走」を堪能しました。 ☆九月の仏声人語・・「叱ってもらえる幸せ!」考えましょう。 <コラム、お尋ね下さい。> ■
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by srd52834
| 2005-09-27 11:37
| トレッキング
![]() GSC月例報告 <北アルプスー大日三山縦走> 私にとっては約40年振りの「大日三山」縦走である。今回は、女性を含む4名編成にて計画、去る9月15~17日に実行した。 昔に比べ「山が痩せた」感覚を覚えたのは、、記憶そのものが薄れ、おぼろげであったせいであろうが、まずまずの天候に恵まれ、全員無事「完走」できたことを、萬物に感謝したい気持ちである。 以前にも紹介したが、我がGSC(ゴールデン・シニア・クラブ)の会長・鹿海氏は、登山における見識は全くない人物で、本人の好奇心により我がNPOが企画し生まれたサークルである。 さて、私がまだ幼少の頃、運良く?体が弱かったお蔭にて、冬は信州・夏は別府の親戚へと預けられ、その間に「スポーツ」特にアウトドアに興じる機会に出会い、今にして思えば、厳しかった親や叔父の指導を戴いた事が、今の「己」である事が有り難く、お彼岸を前に「お墓参り」をと思う日々である。 現在、10年前よりNPOの「少年の悩み」相談を担当しているが、今回の登行にも同じ感覚を抱いたので、シニア登山家の方々に「喚起」を促したく、紀行文は次回の報告とさせて戴いた。 さて、「スポーツの世界」に於いても、親や先生そして先輩達よりしっかり「しつけ」のされていないシニアの多き事驚きである。残念ながら、自ら学習したり、「日本人の伝統たる礼節を思い遣る日本人シニア」は、皆無に等しいと言っても過言ではなく、「己の事ばかり先行」し、周囲を思い遣る心など持ち合わせない、巾の狭いシニア馬鹿が多くなった事は・・非情に「忌忌しき」状態であると感じた。 人と人の交わり、最低限の人との付き合い方、己勝手で褒められたがる等の無知人種が多く、将来の日本は、これらの人種に育てられた人物も押して知るべきと推察される。今、シニアの「山行安全」が叫ばれている現在、正しい考えや知識を身に付ける、及び、己に厳しさの課せられる日常生活が必要であるのだが、・・・ 今更ながら、「シニアの可能性の追求」とは・・と考えさせられた3ケ間でもあった。 私は、人から物事を教わる時には、後に必ず「メモ」を取り、防備録としたものであるが、現在、2500万人以上と言われる「シニア」達の一部は、如何なる「しつけ」をされ、育ったのか疑問にさえ思えた。「唯我独尊」「己勝手」「人の話を聞いていない」などの「バカな大人」が、反省もなく、大手を振って闊歩する日本はいったいどうなるのか不安さえ覚える。 今回の甲子園優勝校の「不祥事」と扱われた問題でも、この親に「くだらなさ」を禁じ得なかったが、当事者となった「先生」は、この生徒をなぜ退部させなかったのか、・・過去に於ける、「スポーツ」の原点をずらせた論議が今回も心配であったが、やっとまともな「高野連」の裁定にほっとした事が、併せ思い出された今回の縦走であった。 次回「三山縦走」の紀行文を掲載します。お楽しみに! ☆九月の仏声人語・・「叱ってもらえる幸せ」一緒に考えましょう。 <コラムお尋ね下さい。> ■
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by srd52834
| 2005-09-21 19:20
| トレッキング
![]() シニアの山歩きーGSC<月例報告> (お礼・・オピニオン「総選挙」ご愛読有難う御座いました。編集人一同) ー夜間登山訓練ーその2 何とか時間をかけて三合目迄我慢の登行でしたが、やはり体が重く、「少し眠る」と了解を取り十五分の仮眠を摂りましたが、体調の改善は看られませんでした。我慢の状態にて五合目に辿り着き、またまたの仮眠、そして、再び登行に挑むもまったく「脳」は働かず、六合目(820m)にて「目の錯覚」を覚えた為、「ここまで」とメンバーに告げ登行を断念、五合目の「ベンチ」に引き返しダウン。 約一時間眠っていたようですが、周囲のざわめきに目を開けると、闇はすっかり明け、東の空が随分赤みがかっていました。 私の過去の経験にない、「未知との遭遇」・?の結果、午前8:00に麓の駐車場に下山し、「小谷城址」近くの「すがたに温泉」へと向かいました。途中、R365沿いにある「喫茶・たんぽぽ」にて、サイフォンコーヒー・モーニングタイムとし、その後、約一時間「金泉」に身を委ね、午後2:00には、出発地・枚方へ帰着しました。 今回の「登行断念」の判断には、誤りはないと確信していますが、「自分の加齢の実態」を、まだまだ「心」が受け入れていない「自分自身」に愕然とした山行でした。やはり、年取ってるなぁ・・・・ さて、夜間登山の「留意点」ですが、山小屋宿泊にての「登山」がお奨めですが、低山故の「寝ずの登行」について考えるられる「要件」は、次の通りです。 1、前々夜の睡眠では、体調を崩し易い。 2、ヘッドランプを装着した登行、特に、ランプの上下による「脳」への影響。 3、「三半規管」つまり、乗り物酔いに弱い方は、要注意。(月夜を選ぶ) 4、目的山を低山、(標高500m以内)での経験を積む。 5、決して、単独行はしない。 6、捻挫防止の為、足深の靴を履く。 以上です。が、「富士山」の場合は、もう一つ、「気圧の変化」に気をつける必要があります。 大いに夏の夜間登山にも「挑戦」して、楽しい「登山」を計画・実行して、マイナスイオンにて体質を変化させれば、「風邪」などに対応できる体になること、請け合いです。 今週「北アルプス縦走」二出掛けます。次回ご報告! ☆九月の仏声人語・・ 「叱ってもらえる幸せ」 を考えよう! <困った時、お尋ね下さい、> ■
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by srd52834
| 2005-09-12 15:45
| トレッキング
![]() シニアの山歩きーGSC<月例報告> ー夜間登山訓練ーその1 8月27日(土)、頭書の目的にて「近江・伊吹山」1,377mに照準を合わせ計画を練った。「天候」「所要時間」「山小屋の状況」等、過去の経験に基づき「安全な登行」を計画し、その日を待った。 前日の予報も計画遂行に支障をきたすものではなかった。が 只ひとつ「月末の金曜日」が、私には不安材料と云わないまでも、加齢を考えれば、やはり心配の種が・・・。 「13日の金曜日」と言えば、アメリカの恐怖映画「ジェイソン」を思い浮かべる方も多いことと思われますが、私にとって「魔の金曜日」というのは、朝日TV系列の「朝まで生テレビ」でした。 山行の計画は、当然にあくる日(土曜日)を除いて立案していますが、今回は、メンバーの親族の不幸にて、当初の計画が一週間延期となった為、私的な予定の、あくる日と悪しくも重複してしまったのです。 当日午後9時30分に枚方市を三名にて出発、私を除く二人は かれこれ三年間ある程度の「技術」を習得してきた仲間なので、登行の不安は全くなかったのですが、高速道路の出口(関が原)を通過してしまい、次の「大垣」で出たのは良いのですが、インターの形状を理解していなかったので、只単に出て入った状態となり、結局、「岐阜羽島」まで余分に走る結果となりました。やはり、前日(当朝)の疲れかと思われたましたが、とにかく「関が原」ICまで引き返し、迷い迷いの末、「麓」に辿り着いたのは日付の変わる少し前でした。 なにしろ、夜間に「伊吹山」を求めて車を走らせたのは初めての事で、山小屋からの「夜間訓練」は山岳部の連中と幾度となく実績を積んだ経験も車には役に立たず、目的地到達までに何度も進行方向を変えるハメになってしまいました。 さて、目的地「ゴンドラの駐車場」に入り、懐中電灯を頼りに支度を整え、夜半12:10に「登山口を出発、二合五勺目迄に要した時間は、一時間四十五分、まずまず予定通りでしたが、三合目迄の急登に ついに「TV]による睡眠不足が「脳」を撹乱し、ライトの上下動も相まってちょうど「船酔い」に似た症状になり、「欠伸」の連続で、足元が覚束ない状態になり、一時「小休止」としました。 次回は、引き続き この「失敗談」のご報告と「夜間登山の留意点」を配信します。 ☆九月の仏声人語・・「叱ってもらえる幸せ」! <困った時は、ぜひお尋ね下さい。> ■
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by srd52834
| 2005-09-08 18:12
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![]() 「富士山」 初登山 リポート <その二> 宮田 和彦 七月14日2日目、6:00起床。雨は降っていないが、強風・霧が濃く今日は頂上を目指すだけなので、ゆとりのある出発・9:30であった。傾斜がきつく、足元は瓦礫で歩きにくい登山道であり、すぐそこに頂上が見えているのになかなか到着しない。約2.5Hをかけて頂上に到着、噴火口及び登頂記念に「写真撮影」を行い、頂上郵便局より日頃迷惑を掛けている「愛妻」へ“暑中見舞い”を出した。(登頂の良い記念になるだろう!) 風は相変わらず強く、早々に投宿した。「消灯19:00」「起床3:30」と説明され、これが「山小屋」の生活かと思いながら、床に就いた。しかし、頭が痛くなかなか眠れない。「高山病」か「風邪」か・・?「明日は大丈夫だろうか・・?」考えている間に睡眠。 「明日も安全に」・・・・・ 15日3日目、4:00起床。霧が濃く、風も強い。ご来光は見えるか・・?ご来光を観る為の多くの登山者が「休憩所」として小屋を利用する為、宿泊者にとっては気分の悪い扱い方である。ましてや「高山病」?か、頭の痛い私には追い討ちとなる辛さであった。予定より1H早く「小屋」を出発、外は風が強く立っているのがやっとと云う中、8合目の「赤岩舘」を目指し下山を開始、「赤岩舘」に到着した時点で「高山病」はほとんど治っていた。 「赤岩舘」でゆっくり休憩させて戴き、再び下山開始。途中、「砂走り」を経験し「宝永火口」を観ながら、予定どおりの時間に出発地・富士宮新5合目に帰着した。 3日間の「汗と垢」を落としに「天母の湯」に向かった。「お湯」の有難さと、全員無事下山に「リーダー」に感謝! 感謝。 感想:「富士山は、遠くから観るものである」・・・・? ☆八月の仏声人語・・・「にらみ合うより、ゆずり合い」 <ご意見お願いします。> ![]() ■
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by srd52834
| 2005-08-04 17:17
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![]() ’05 富士登山 (原文の儘ご紹介) 「富士山」 初登山リポート <その一> 宮田 和彦 一度は登ってみたい山「富士山」。頂上からはどの様な景色を観ることが出来るのか期待が膨らむ。 富士山に登る為続けた「ウエートトレーニング」2年、体力に自信はあるが、高山病にならないか不安が過ぎる。天気予報では「雨」、不安だらけのスタートである。 7月13日初日、朝5:00枚方出発、名神・東名高速とドライブを楽しみ乍、順調に時間が経過した。又、目的地に近ずくにつれ心配していた天候も、我々を歓迎してくれているかのように晴天となり、富士宮新五合目に到着。軽い「昼食」を摂り、富士宮口より8合目を目指した。 7合目より下界を見下ろすと、丁度飛行機内より観る景色と同一で、雲海が広がっていた。尚、所々に残雪があり「高い山」に登っているとの実感を噛み締めた。 8合目の宿舎「赤岩舘」を目指し登ったが、すぐそこに「小屋」が見えているのに、近くて遠い道程だった。思ったより客は少なく、小屋の方々も気持ち良く我々を迎え入れて戴き、気持ち良く一夜を過ごす事が出来そうであった。 強い風の音ばかり聞こえていたが、疲れの為、熟睡。「明日も安全に」・・・・・ <続きは、次回に!> ☆八月の仏声人語・・・「にらみ合うより、ゆずり合い」 <ご意見お願いします。>(文科省) ■
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by srd52834
| 2005-08-02 17:56
| トレッキング
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