失われる・・?「権威」

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   <現社考>「法廷審判」を憂う!



         <「代言人」の失威>



  「代言人」とは、今で云う「弁護士」です。
江戸時代の「評定所」が文明開化に伴い之が移行したものが「裁判所」(コート)です。ともあれ、歴史に関しては各人の知識にお任せするとして、コートにおける「被告とされる人」、つまり、裁かれる人のことであり、この被告とされる人の代言を金銭にて引き受けた後裔が「弁護士」と云う商売です。


  日本国憲法第六章に基いて制定された「司法制度」に関する法律・明治憲法下の裁判所構成法により「代言人」から一定の資格にて律する「弁護士制度」が確立されました。


  今日問題にしたいのは、一年前の「福岡での交通事故裁判」に関し検察側と被告弁護人との「争点」。「事実認否」に相当の開きのある点に触れてみたいと思います。

  この事件は、飲酒運転の福岡市職員が前を走る「家族5人」の乗った行楽帰りの車両に追突、追突された「四駆車両」は橋の欄干を越え下を流れる川に水没、三人の幼き子どもの命が絶たれた、記憶に新しい事案です。
 
  この裁判の争点は2つ。「事故直前に何があったか」と「酩酊運転か否か」であり、適用となる罰則は「危険運転致死罪」の範疇と主張する検察側。一方、「之に当てはまらない」と主張する弁護側。読者の皆さんが「裁判員」に任命されての法廷であったなら、如何判断されるでしょうか・・?


  特に最近の「弁護士」の法廷戦術に、世間一般常識とのズレを感じてならない。
 それは、一部「職権乱用」とも思える「被告人をして精神鑑定の必要性」の訴えにあります。 現在の日本では、国民年金の不明とされる5000万件以上の社保庁の杜撰な仕事が問題とされ、全国民の関心を買っていますが、国民の「冷静な対処」が望まれます。と同様「己の主義・信条による訴え」が強く、裁判を長く有利にとの思いが前面に出過ぎており、被告人の為ならずの損得勘定が看て取れる「嫌な法廷」に癖々する場合が多くなりました。


 (山口・光市の母子殺害事件の「最高裁差戻し審」における安田好弘弁護士率いる弁護団20名の「法廷戦術」も同様、量刑審理の筈が「事実認否」におよび、弁護人の「勝手な作文」が露呈している)



  福岡の被告人は未だ若い。先もある青年です。
そして、この事案に適用されず、関東の幼稚園児の複数致死傷事案と「同じ判決」の可能性は高い。 だが、殺伐とした現代ならばこそ「人を殺めたら、己の命を以って贖う」の常識があってこそ「治安」と「国民の安心」のある世の中が構築でき、この原則が将来に於ける平和国家への条件であろうと考えます。 先、「自動車運転過失致死傷罪」が施行されました。

 (道交法は、他も改正されました)この裁判は「年内結審」の見込み、判決が注目されます。



        ☆八月の仏声人語・・・「いのち」を大切にしよう!


            <更新コラム>への誘い!


 
 
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by srd52834 | 2007-08-02 10:50 | 「現代社会を考える」→時事
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